鑑賞会ニュース77号(令和元年7月31日発行)


鑑賞刀レポート目次

5月12日 総会・鑑賞会(講師 鈴木俊一会長)

【一号刀】脇差 信国

【二号刀】刀 □吉(平安城長吉)

【三号刀】脇指 国包(初代)

【四号刀】刀 山城守藤原国包(二代)

【五号刀】脇差 尾崎助隆

【六号刀】脇差 石見守国助

6月22日 定例鑑賞会(講師 高山武士先生)

【一号刀】刀 冬広

【二号刀】刀 三品丹波守吉道

【三号刀】短刀 備州長船幸光

【四号刀】脇差 国次(宇多)

【五号刀】短刀 備前吉井吉則


5月12日 鑑賞刀レポート

【一号刀】脇差 信国 1尺5寸程度 室町初期 山城国

平造、細い棟筋の三ツ棟、身幅広く寸延びて重ねやや薄く反り浅くつく。

鍛えは板目、刃寄りにところどころ柾目がかり肌立ち、やや白け気味。
刃文は2つ3つほど連れたやや角張る互の目を焼き、砂流しがかかる。

棟側に寄り棒樋に連れ樋、鎺上で丸留。

刀身の割に茎は短く、茎尻は浅い栗尻、茎上半の中央に目釘孔2。鑢目は判然としない。

差し表の第二孔下に「信国」の銘が切られ、「国」の字はいわゆる左字。

 

室町初期にあたる応永期の姿。銘の「国」の真ん中の「|」が垂直に切られており南北朝期末期より下らない。

本作は応永信国と呼ばれるうちのひとり、本作は式部丞信国。

信国は来派の了戒の流れをくんでいるため刃寄りが柾がかるということだが、今回理解できた。

「国」が左字となるのは応永信国のひとり、左衛門尉信国の特徴ともいわれるが、

銘の切り方が式部丞にも似ていることから、左字=左衛門尉とは限らないとのこと。(佐々木理恵 記)

【二号刀】刀 銘 □吉(平安城長吉) 2尺1寸9分 室町中期~後期 山城国

刃文の表裏が揃っていて、やや細身な姿が印象に残る平安城長吉の刀。

刃文は矢筈風で箱がかった乱刃となり、またその刃文の表裏がしっかりと揃っているが、これは平安城長吉の典型的な作風であることを示している。

平安城一派は鎌倉末期頃に活躍した光長を事実上の祖とし、長吉はその光長の孫とされ、同銘が室町後期まで数代続いたとされているが、南北朝時代の長吉の作品は現存作がほとんどみられないことから、室町時代に現存している年紀入りの作品を初代とするのが現在では通説となっている。

長吉は文亀の頃に三河、相模、伊勢に駐槌し、伊勢で村正を教えたとされることから村正の師であると云われている。

また後代の長吉が村正の弟子になったとも云われる。

平安城とは、平安京と同じ意味の京都の別称であり、奈良を平城京と呼んだのに対し、京都を平安京、または平安城と呼んでいた。

平安城長吉は特に刀身彫刻が非常に多く、樋の中に真の倶利伽羅や剣、梵字などを、巧妙に深く掘り、京信国や末相州物等に近い彫り方をするところに特徴があり、また銘の切り方では最初の鏨の打ち込みと、画の最後の打鏨のことを指す「つけ止め」に特色があるのが、この平安城長吉の大きな見どころの一つとなっている。

 

平安城長吉の刀は今までに鑑賞会等で中々見ることが無かったが、そうした中で今回は平安城長吉の刀をじっくりと鑑賞することができ、とても良い勉強になったと思う。(赤荻亨 記)

【三号刀】脇指 国包(初代) 1尺4寸3分 江戸前期 陸奥国

平造り、庵棟、鍛えは柾目肌細かく、地沸よくつく。

刃文は湾れとなり、ほつれ・細かい打ちのけ・砂流ししきりにかかり、金筋交り、小沸つく。

彫物は表に二筋樋、裏は棒樋を鎺上で角留め、添え樋を掻き流す。

柾目肌から大和伝は外せず、姿などから新刀とみることができ、仙台国包一門の典型的な作風となっています。

国包は柾目鍛えの作刀では新刀随一と称され明治にわたり14代活躍しますが、初代は銘の切り方が多くあり銘だけで判断するのは難しいようです。

(今野利幸 記)

【四号刀】刀 銘 山城守藤原国包(二代)2尺5寸 江戸中期 陸奥国

 鎬造り、庵棟、重ね反り共に尋常、身幅広く一見豪壮だが元先やや幅差が付く寛文新刀姿。

刃文は小錵付きほつれもありすっきりと匂い口締まる直刃出来。帽子焼き詰め。地鉄は良く練れた柾目肌。しかし子細に見ると地鉄半分から棟寄りは小板目肌となり体配からニ代の山城守と見当を付けたうえで地肌からも3号刀の初代山城大掾との迫力のある湾れた柾目肌とは相違する作風を視認できる。以前二代山城守を拝見した際は大阪新刀然とした大互の目出来で越中守正俊に師事したと伺える作で本刀はまた大和然とした健全な御刀でした。

 

 また鑑定会終了後に初代山城大掾藤原国包の刀も参考刀として三振りを比較して拝見することが出来ました。

参考刀の山城大掾の刀は鎬がしっかり高く重量的にもずしりしていました。その後国包談義。

・国包二代以降は登城の際の重量軽減の為鎬が低くなる傾向も見受けられのでは。

・刃側の地鉄と棟側では違う鉄を合わせたのではないか。

・初代は良く足が入る。

など色々皆様の見解がお聞き出来、今後の考察としてとても良い情報となりました。

 

国包、初代の刀、平脇指とニ代の刀の3振りを拝見し、地元宮城県でも正真の初二代の国包を見る機会は以前よりなかなか無いというお話を良くお聞きしていましたのでとても貴重な鑑賞会となりました。

(三浦弘貴 記)

【五号刀】脇差 尾崎助隆/寛政二年 1尺7寸 江戸末期 摂津国

新々刀期の脇差し。姿は身幅重ね尋常で中鋒になっており姿から時代を特定するのは難しいと思いますが小板目がつんだ地鉄と濤乱刃を焼いて帽子が小丸に返る典型的な大阪新刀の作風。

濤乱刃は助広に始まり新々刀期に入っても水心子正秀、加藤綱英、手柄山正繁など多くの刀工がこの刃文を焼いている。

地鉄がきれいにつんだ小板目だったので時代の上がった助直や照包に見えました。

濤乱刃の刀を鑑定する場合、助直は砂流しが入る、手柄山正繁は尖り刃が交じるなど見る部分はいろいろありますがわかっていても個銘まで当てるのは難しく感じます。

一応助隆の場合刃文の谷の部分が角張る特徴がありその点が鑑定の一つのポイントになっています。

(國上涼 記)

【六号刀】脇差 石見守国助 1尺7寸 江戸初期 摂津国

寛永頃の脇差しで五号刀に近い姿をしている。

地鉄は板目がつんでいるが少し肌立っている。濤乱の様な刃文が強く沸付いて金筋が入っている。

石見守国助は初代河内守国助の弟だが作品を目にする事は少ない。

初代河内守国助と言えば焼きが高く丁子や互の目の目立つ作品が多いですが、この刀はあまり初代河内守国助には似ておらず沸の強さや金筋などの働きは師匠である国広の一門の相州伝的な部分の影響なのでしょうか?

名鑑を見ると石見守国助にも二代目がいるようなのでそちらの作品かもしれません。

そうだとすると時代も少し下がりそうです。兄の国助に似た作品があればそちらも見てみたいです。

(國上涼 記)

5月12日鑑賞刀レポート補足資料(時代別・国別)

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6月22日 鑑賞刀レポート

【一号刀】刀 冬廣 2尺4寸 室町末期 若狭国

やや寸法が長い刀で鎬が高くなって平肉がかなり付いている。

反りは浅く鋒は中鋒が伸びる。中心は二寸程すり上がっている。

地鉄は小板目つむが肌立つ。刃文はのたれに形容しづらい形の刃がまじり沸付く匂い口は深目になり棟焼きも入っている。

帽子は焼き深く小丸に返り長く焼き下げる。

冬広は若州の刀工で相州の刀工の流れを汲み新刀期に入っても代を重ね作刀を続けている。

一見して時代が若く見える刀でしたが帽子が深い所は室町期末期の刀の特徴です。

入札ではやはり新刀や新々刀に入札された方も多かったようです。

以前この刀が出た時も一の札で当たった人は少なかったです。何度見ても難しい刀だと思います。

(國上涼 記)

【二号刀】刀 三品丹波守吉道/延宝三年二月吉日 2尺4寸程 江戸中期 摂津国

鎬造、庵棟、身幅広く重ね頃合い。反り浅くつき中鋒やや伸びごころ。

小板目よくつみ地沸よくつく。

上半は判然としないうるみごころの簾刃を焼き、特に物打辺りに強く出る。下半は鎺元から長い焼き出しあり。

帽子は横手元で湾れ、突き上がり棟寄りに深く返る所謂「三品帽子」。

茎尻は入山形、鑢目は大筋違、目釘孔1。孔から棟寄りに、茎筋を中心に長銘を切る。

 

姿形から江戸中期。

簾刃は丹波守吉道の特徴とされ、さらに長い焼き出しから大阪丹波と考える。

本作のようにうるんだ簾刃は初代と二代の特徴とされ、純然たる簾刃は後代の作となる。

銘に「三品」と切るのは大阪丹波のみ。京丹波は「三品」とは切らないことを知りました。

(佐々木理恵 記)

【三号刀】短刀 備州長船幸光 至徳二年三月日 9寸前後 南北朝末期 備前国

至徳年紀のある南北朝末期の小反りに分類される幸光の短刀。

姿は細身で反りがつき、地鉄は板目に杢目を交え、肌立ち気味となり、やや淡く映りが現れ、刃文は総体的に小模様で焼きが低くこずみ、小互の目が連れた刃文となっている。

刃文が全体的に小模様となるところが小反りの特徴の一つであるが、今作の幸光も反りは南北朝時代の反りに近く、刃文もどちらかというと小模様となり、次の室町時代初期の応永備前の姿の特徴とは異なることから南北朝末期頃の小反りの短刀だと捉えることができる。(応永備前にも応永の一桁台の作品には小反りによく似た出来口のものが認められる)

 

小反りとは主に南北朝末期頃で兼光、長義、元重、吉井、大宮等の系統に属さない備前の刀工群を総称して指すと云われ、小反りは「挙る」を語源とするなどの諸説があるが、定説は未だにはっきりとは定まっていない。

(南北朝中期の貞治年紀の成家や応安年紀のある秀光、恒弘等も小反りに分類される)

 

小反りが活躍した中心年代である南北朝末期は、それまでに備前で活躍していた主要な流派も最盛期を過ぎ、その中で作風の特

徴や系統がはっきりしないものも多くなり、それらをひとまとめとして扱う意味で小反りと分類したのではないかとも考えられる。 最近の鑑賞会ではよく出てくる印象のある小反り物であるが、今回は改めて小反りに対する知見を深め、特徴をしっかりと整理する良い機会となったと思う。(赤荻亨 記)

【四号刀】脇差 国次(宇多) 1尺7寸 室町末期 越中国

平造り、丸棟、身幅広く重ね薄く、先反りとなる。刃文は、飛焼交え皆焼(ひたつら)となる。

南北朝期では皆焼で長いものはほとんどなく、短刀・小脇指に多くみられます。本作は室町末期の応仁から下がっても永正頃までの作風となります。

姿などから皆焼を焼く末物までは分かっても、本作を宇多の作刀とみるのは難しいとのこと。

宇多派は鎌倉末期の国光を祖とし、南北朝期にかけての作品を「古宇多」、室町期を「宇多」と呼び分けています。

(今野利幸 記)

【五号刀】短刀 銘 備前吉井吉則/永享二年二月日 7寸程 室町初期 備前国

平造り、三つ棟、重ね尋常。やや内反りだが本来は無反りの物。元は板目流れ、先は大杢目混じる。元より3/2ほど疲れ映り入る。刃文は小互の目が小詰んで連なりその上に直映りが沿うように小互の目に連動する。吉井物は刀でも連なる互の目と対を為すような形で映りが見られる特徴がある。帽子は小丸にやや返る。

三月にも拝見している短刀で以前は「兼光」に入札。地鉄や姿に於いて本刀では一番入れてはいけない札とご指導頂きました。今回は見知り。

ここ最近特に頭の揃った小互の目タイプの平造り短刀が出題されました。過去出題の南北朝中期「応安年期の恒弘」、今回3号刀の南北朝後期「至徳年期の幸光」そして5号刀の室町前期「永享の吉則」とそれぞれ姿、重ね、反りなど時代が推移していく様を理解できたと思います。

 

今回答合せ後の高山先生の講評では刀工のオリジナリティーに関しての刃文の形の変遷に関してご教授。

鎌倉中期の丁子刃、鎌倉末期は互の目、角互の目。片落ち互の目そして湾れ互の目と南北朝まではオリジナルの刃文が成立していた。

その後南北朝末期~室町、応永以降では各種組み合わせ。室町末期の新刃文、複式互の目、表裏揃い刃文他、慶長以降は湾れ相州風、簾刃、拳形、濤瀾、数珠刃と常に刀匠はオマージュと新しきを探求しつつ進化させ更に復古刀論へ回帰。現代刀匠においても研鑽は続く。

 

平安後期の古備前、一文字は見るたびに新しい発見がある奥ゆかしさが「武」のみではない日本刀深淵の美の源泉と熱く講釈いただきました。

 

(三浦弘貴 記)

6月22日 鑑賞刀レポート補足資料(国別・時代別)

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