鑑賞会ニュース76号(平成31年5月8日発行)


1.定例鑑賞会(3月23日)

鹽竈神社 第二講堂にて定例鑑賞会を開催いたしました。

時折小雪の舞う肌寒い日にもかかわらず29名(うち一般参加5名)が集い、終始和やかに日本刀に親しみました。

 

鑑賞会の詳細は次項のレポートをご参照ください。


2.初心者向けワンポイント講座 - 鑑賞会のながれ編

当会の鑑賞会へ初めて参加される方は

「会場はどんな雰囲気なんだろう?お話できる人はいるかな?」

「日本刀を手に持った経験がないからどうしよう…」

「鑑賞会のスケジュールって、よくわからないな」

等々、ご不明な点も不安な気持ちもあると思います。

そんな初めて参加される方の不安を軽くするための

ワンポイント講座です。

少しでも「???」を軽くするお手伝いができれば嬉しいです。

 

今回は鑑賞会の流れについて、ご紹介いたします。

(団体ごとに多少の違いはありますので予めご了承ください)

宮刀保の鑑賞会の流れ

 

◆12:45~

受付開始(参加者表へ氏名の記入、参加費用支払い、名札受取り)

◆13:00~

会長挨拶・講師挨拶

当会会員は鑑賞開始

初参加者はレクチャー受講

・内容:鑑賞時の心構え、ケガや事故を防ぐための取扱い方法、その他留意事項

 質問は説明後に受け付けます

初参加者は受講後から鑑賞開始

・鑑賞する刀(鑑賞刀)は刀身の下部に柄が付けられた状態で設置されます。(※1)

 基本的に5振り用意されます。

・入札(参加は任意)

 鑑賞刀が作られた時代、国、流派、作者を当てる学習型ゲームです。

 回答すると講師(※2)がヒントを出し、本人のレベルに応じた答えに導いてくれます。

 回答は基本3回(※3)までとされますが、当てたい方は何度でも挑んでもらって構いません。

・大きな声での会話や雑談、答えに関する会話はマナーとして控えましょう。

・初心の方で解らない事は名札を見て広報チームにいつでもご質問ください。

◆16:00~

鑑賞刀の講評

・講師が鑑賞刀それぞれの特徴と見どころを解説します。(※4)

・講評後、鑑賞刀の再確認

 柄を外し、鑑賞中は隠れていた中心(なかご)、銘を確認したり、

 刀身をもう一度鑑賞する等、参加者が個々に復習をします。

片付け(15分程)

・鑑賞刀を傷つけないよう、刀や備品による参加者や自分にケガや事故が起こらないよう細心の注意を払って作業をおこないます。

次回会場の告知と連絡事項(決定事項があれば)

◆17:00~

解散(名札は受付にご返却ください)

 

※1:鑑賞時は刀工名は伏せられているため傍らに「1号刀」「2号刀」と書かれた札が傍に置かれます。

鑑賞刀の一方で、知識を深めるための刀(参考刀)が設置される場合があります。

参考刀は刀身全体を見せるために柄を外した状態で設置されることが多いようです。

※2:判者(はんじゃ)とも呼ばれます。

※3:1回目を「一の札」、2回目を「二の札」、3回目を「三の札」と呼びます。

※4:解説にあたり、日本刀特有の専門用語がたくさん出てきます。

刀剣鑑賞に於きましては、先ず取り扱いの習得から直ぐに刃文や地肌等の全体の景色または働きを視認することはやや難しいです。

最初は難しいかもしれませんが鑑賞に対応した見方が出来る眼を養えた所から「沸」、「匂い」、「砂流し」や「映り」など専門用語の働きを徐々に理解できるようになります。昔ながらの表現の言葉ですが興味を持って鑑賞会に慣れて書籍を読んでいけば不思議と専門用語が納得をもって理解できるようになると思います。

一つずつゆっくり学んでいくのが刀剣の醍醐味です。

3.鑑賞刀レポート

【一号刀】太刀 雲次 二尺二寸五分 鎌倉末期 備前国

反りが全体的に加わって鳥居反りとなり、細身で精美な印象を残す雲次の太刀。

体配は元幅と先幅に開きがあり、細身で小鋒であるが反りは腰反り高く先に行って俯く姿とは

ならないことにより、平安末期から鎌倉初期の太刀姿ではないことがわかる。

 

反りは全体的に反りが加わって鳥居反りと呼ばれる輪反り状の姿となっている。

鳥居反りは山城では来派、備前では雲類がこの鳥居反りの姿となってくる

茎を垂直に立てて全体の姿を見た時、鋒の位置は鎌倉中期から後期、末期の位置へと定まり、

ここで時代をどちらに定めるか判断しなければならないが、そうした場合には刃文からみて時代を定めていくことが必要である。

鎌倉中期の刃文は福岡一文字などに代表される華やかな丁子乱れが主体の刃文となり、

それが鎌倉後期から末期になると、鎌倉中期に比べ刃文が穏やかになり、

丁子ではなく互の目の刃文が主体となってくる。丁子は形の上で華やかな刃文を構成できるが、

互の目は形の上から華やかな刃文は構成できないため、互の目は丁子に比べ地味な刃文になっていく。

今作の刃文は直刃がわずかにのたれごころで沸がつき、比較的穏やかで地味な刃文となっていることから、

時代は鎌倉中期ではなく、鎌倉末期と推測することができる。

鎌倉末期で鳥居反りであることから、まず来派が思い浮かんでくるところであるが、

今作は帽子が大丸ごころに返っていて、映りは指で押したような暗帯部が現れる地斑映りとなっていることから、ここでは来派の刀工ではなく、備前の雲類へと考えを進めていくことになる。

 

雲類の中で鎌倉末期の刀工は雲生と雲次になるが、

今作は作風から考慮すると特に雲次と思われる出来口になっている。

雲類は備前国宇甘庄に住した宇甘派、または鵜飼派と云われる刀工集団であり、

雲生、雲次、雲重など銘に「雲」の字を切ることから雲類と呼ばれている。

雲類の祖は山城から備前へと移住してきたために、その作風は備前長船正系のものとは異なり、

山城の来派や備中の青江等に近い作風の刀であることが特色となっている。

また銘の切り方が太鏨大振りで力強く切ってあり、この時代の長船正系の景光等に見られる、

細鏨で楷書的な整った銘の切り方と異なるところからもそうした特色等が窺える。

 

今作は来派の作風によく似る太刀であったが、姿、帽子、映り等の特色により来派ではなく、

雲類へと考えを持っていくところが特に重要な点であったのではないかと思われる。

なお鹽竈神社博物館には雲類の祖と云われ、今作の雲次の父である雲生の三尺を越える

長寸の重要文化財の太刀が現存している。

(赤荻 亨記)

【二号刀】太刀 備州長船重末 二尺三寸一分 南北朝末期・室町初期 備前国

鎬造り、庵棟、身幅の割に目立って重ね厚く、腰反りつき先へも加わり、踏ん張りがつき、中鋒に結ぶ。

地鉄は板目に杢交じり、肌立ち総体に流れ、地景太く変わり鉄状に入り、映り立つ。

刃文は小湾れに小互の目・小丁子交じり総体にこずむ、匂出来に小沸つき、金筋・砂流しかかる。

彫物は表裏に棒樋を区上で丸止めとなる。

 

南北朝中期の延文・貞治頃の太刀姿であれば身幅広く、元先の幅差が少なく、大鋒となりますが、本作のように身幅尋常または細身で重ねが厚い姿は南北朝末期の永和から室町初期の応永一桁台までの姿の特徴となります。

この頃の長船正系ではない備前の刀工群を「小反り」と呼びますが重末も小反りに分類されます。

地鉄は板目に杢目、流れ肌や大肌などが不揃いに交り、刃文は小湾れ・小互の目・小丁子・小さい尖り刃といった小模様となるものが多くあります。

小反りの元々の意味は「挙る」(残らず集める)からきている説がありますが、華やかさのある応永備前にくらべ地味目で独特な風合いのある小反りはやや好まれない傾向にあったのかも知れません。

本作の「備州長船」の鏨銘ですが潰れて読めなくなってますが、先に述べた理由であえて銘を消したとも考えられます。

 

そんな小反りですが、渋くてとても味わい深い御刀もあり、名前で判断するのではなく一口一口をしっかりとみることが大切だというお話がありました。

御刀に限らず何事も上辺だけではなく小さくても良い部分を発見できたり、本質を見極められる目を持つことが大事だと考えさせられた一口でした。

(今野利幸 記)

【三号刀】太刀 備州長船康光 / 文安元年二月日 二尺四寸弱 室町中期 備前国

三号刀本作は前回の鑑賞会、四号刀と同じ御刀。講評担当の佐々木の文章に補足程度で再掲。

 

鎬造、庵棟、磨上げにて元・先幅差ややつき、重ね厚く、先伸びこころに中鋒。

腰反り様のやさしい太刀姿。

鍛えは総体的に粘り気があり、板目よくつみ棟寄りに杢目交じりやや白けごころ。

刃文は匂口がしまり、小互の目や小丁子が小詰み、大小の尖り刃は頭が地肌に向かって匂が煙り込むことで、

地刃の境が曖昧になる。

物打あたりで刃縁がややうるむ。また乱れ映り入る。

足・葉よく入り、帽子は乱れ込み先がとがってわずかに返る「ロウソク帽子」の形をみせる。

佩き表・裏ともに鎬地に棒樋を掻き茎の中頃で丸留め。

茎は磨上げられ切、目釘孔4、そのうち第1孔から第2孔までに切状の鑢目が入り他は判然としない。

銘は表・裏ともに棟寄りに切られており、また拵えに合わせに棟側は削られている。

佩き裏に切られた年紀と作風から二代の作と考えられている。

 

刀剣史における室町時代は太刀銘(佩表に切る)から刀銘(佩裏=差表に切る)へと変化していく。

研究上とても重要なポイントのひとつで、変化が始まる下限として嘉吉(かきつ)の年号がキーポイントとなる。

嘉吉を境に、同時代を室町初期(太刀銘、応永~永享 = 応永備前)、

中期含む末期(刀銘、嘉吉・文安~文禄 = 末備前)と大きく二分している。

しかし実際は嘉吉・文安・宝徳・享徳あたりは太刀銘で切る刀工もまだまだ多く、

太刀銘で刀のような姿を呈したものや、刀銘で太刀のような姿をした作も存在し、

まさに太刀銘から刀銘への過渡期のものが本作となる。

 

康光は応永頃の備前代表刀工のひとりで、盛光、師光とならんで「三光」とも称される。

古備前正恒系の流れをくむ近忠(光忠の師)と景秀(伊達政宗の愛刀「くろんぼ切景秀」の作者)をルーツにもち、日本刀銘鑑によれば応永から天文まで五代続いた。

修理亮盛光の弟ともいわれている。

日本刀銘鑑によれば二代は応永三十四年から嘉吉年紀までと記されているところから、

文安年紀の本作も考慮すれば作刀期間の長い刀工であったことは確かなようだ。

古刀史年表に同銘・同年紀の太刀の記載あり。

(三浦弘貴 補記)

【四号刀】短刀 吉井吉則 /永享二年二月  一尺一寸程 室町初期 備前国

寸法の伸びた短刀で重ねはあまり厚くなく先が内反りになっておりいつも見るこの時代の短刀に比べると身幅が少し広く重ねも薄く感じる。

地鉄は板目肌立ち白っぽく刃寄りに棒映りが立つ、刃文は元から先まで同じ形の丸い互の目が連れていて吉井派の典型的な刃文になっている。

帽子は丸く返って刃方に倒れる。似た作風で同じ系統の刀工に出雲の道永派がいる、また 室町期以前の吉井は刃文が沸付いており古吉井と言われている。

 

棒映りが立っている所から備前の刀で時代は室町末期までは下がらないと考えましたが南北朝末期から室町中期の間で迷いました。

吉井の刀は中々見る機会が少ないですが刃文が印象に残る刀だと思います。

(國上涼 記)

【五号刀】短刀 兼綱 一尺二寸程 室町後期(末関) 美濃国

平造、三ツ棟、身幅広く重ね薄く、寸が伸びて反り浅くつく。

南北朝中期(延文・貞治)頃を目指したと感じられる姿をしている。

 

鍛えは板目に柾目が交りやや肌立ち白けごころ、白気映りが入る。

刃文は匂出来で、上半は互の目丁子風(やや不規則な間をもって大きさの異なる頭の丸い丁子を焼く)、下半は互の目に湾れ。

上半のみを局所的に見れば「兼房乱れ」と称したいところだが、本歌は等間隔に頭の丸い丁子が同じ形状で連続する。

帽子は先尖って深く返る。

佩き表・裏ともに棒樋を掻き茎の上半で掻き流す。

茎尻は入山形、茎の形状は刃側がやや膨らんだ形状をしており、舟形茎風にも見える。

目釘孔2、銘は第2孔に削られるように「兼」の字、続いてやや棟寄りに「綱」の字が在り、後世に第2孔が開けられたことがわかる。鑢目は檜垣。

刀工大鑑に同刀工の作と思われる記載あり。

 

「兼綱」名は応安頃から数名存在するが、本作は天正頃の作となる。

刀剣史における室町時代は室町前期(応永,1394~)、中期(応仁,1467~)から、後期(文禄,1592~)の3期に分けられ、特に中期と後期は応仁の乱からはじまる戦国時代となる。

「兼綱」は応安頃から数名存在するが、本作は天正頃の作となるため前述でいえば後期に含まれる。

 

鎌倉末期から室町にかけて兼氏と金重が当地へ移住したことが発端となった美濃伝。

当地があらゆる街道への中継地であったこと、周辺国からの武器の需要が非常に多かったことから、他の伝法にくらべ短期間のうちに発展と隆盛を極めた。

特に中期以降は美濃国のなかでも関の地に刀工が集中し、大量の需要に応えたことから関=美濃ともいわれるほど栄え、同時代の刀工を「末関」と称される。

 

尚、美濃伝は「三本杉」等の尖り刃と思われがちだが、丁子刃も得意としている。

本場である備前伝(末備前)が小模様の丁子を焼いていた当時、美濃伝では兼則等の上手が大きな丁子を焼いており、

中には一文字の作に紛れる程の出来が稀にあるという。

 

美濃伝は室町後期までに「兼」の字をもつ刀工が数百人まで膨らみ、且つ同名の代別も存在するようになった。

ギルドとして個々が規律のもとに作刀を行い、まとめて買い上げてもらう形態で戦国時代を生き延びた美濃伝はその後、全国へ移住し、新刀鍛冶の祖となっていく。

(佐々木理恵 記)

鑑賞刀レポート補足資料

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4.今後の予定

◆小さいお知らせ◆

宮城県には日本刀の勉強ができる会がある。

宮刀保の存在を知ってほしい。

…ということをお知らせする右記のポスターを作りました。

鹽竈神社博物館様、登米懐古館様にて館内に後日貼って頂きました。

(日本刀に縁があり、宮刀保の事務局でもあります)

当HPやツイッターのURLが掲載されていますので

お気軽にアクセスくださいませ。

もし見かけましたら応援よろしくお願いします。

 

今後もどこかの施設で見かけるかも!?


5.会員通信

本ニュースの編集・配信係のササキです。

もっぱらササキの独り言コーナーと化したココ。

いつか副題に「宮刀保女子の独りごと」と付けることを夢見ています(嘘です)

 

 

ベテランの方に「第一に備前伝、次に美濃伝を勉強すると刀剣史がわかりやすくなるよ」とお教えいただいたのですが、

当初は「どゆ意味?(・▽・)」でした。

で、鑑賞刀レポート…今回、美濃伝の兼綱を担当したのですが仰った意味がよくわかりました…。

備前伝は古刀、美濃伝は新刀の歴史そのものを学ぶ上で欠かせないものだったのね。

とりあえず今回は、作風等の掘り下げまでに至らなかったにせよ、美濃伝の移り変わりを総ざらいできたかなーという感じです。

お陰でレポート書くまでどえらい時間がかかりましたが、勉強になりました…。

 

共同組合を作って作刀する事業形態から見える柔軟性と忍耐力を持った刀工集団であれば、

新刀期になっても生き延びられるだろうな…。

新刀鍛冶の祖にだってなれちゃうだろうな…。

 

今後は大和伝と山城伝を鑑賞刀レポートで総ざらいできたらいいな。

大変だけど…やりがいはあります。

 

ただ…ちょっとツカレマシタ(笑)

でも大変だけど…やり(エンドレス)

 

 

さてさて話替わりまして。

きたる12日は総会+鑑賞会の日。

広報チームの実績報告のお時間を頂く予定なので、準備万端で挑みたいところです。

広報チームと会員の皆様で多角的なご意見を交わせたらと考えています。

総会のお時間の醍醐味ね。

 

そして…もうひとつの醍醐味…お昼ごはんは美味しいお寿司が食べられます♪( ← そこか)

会員の皆様と食事をご一緒するのはあまりないので今から楽しみです。

お寿司が食べられます♪( ← しつこい)

お寿司が好きです( ← 訊いていません)

 

また素敵な御刀が拝見できますように♪

 

以上、会員通信でしたっ(^▽^)ノ