鑑賞会ニュース75号(平成31年2月21日発行)


1.新春刀剣鑑賞会(1月19日)

穏やかな晴天に恵まれた当日、

塩釜市公民館にて新春刀剣鑑賞会が開催されました。

参加者は25名(うち一般参加5名)。

高山先生がご持参くださった選りすぐりの御刀を

定刻までたっぷり楽しみました。

観れば観るほど惹きつけられる…。

 

鑑賞会の詳細は次項のレポートをご参照ください。


2.鑑賞刀レポート

【一号刀】剣 国吉(粟田口) 七寸程 鎌倉中期 山城国

粟田口国吉の剣 両鎬造り 表裏鎬樋、

中央に梵字。銘表はおそらく「毘沙門天」 裏「不動明王」。山城物の組み合わせ傾向。

鍛えは杢、板目流れ良く詰み、鎌倉初期粟田口派の第一世代の梨地肌と肌合いは変化しつつありますが精良で潤いのある鉄(かね)冴える。一般的剣の鍛えは柾目風や板目流れる傾向のようですが本剣は杢も混じり味わいのある肌合い。地景良く入り、小錵出来。直刃調の小湾れ、小互の目、食い違い刃。姿は区上ややクビレ先張る。

 講評では巷間、「剣」は時代が上がると先張らないと言われているようですが実際、南北朝時代より古くは頭が張ると言う事です。室町初期、応永以降は頭は張らない。

 

この機会に「剣」の姿について調べてみようと思い「重要文化財27工芸品Ⅳ」「重要美術品全集」「刀剣銘字大鑑」「鑑刀日々抄、続、続二、続三」それとまた手持ちの「重要刀剣」の資料を調査。

調べた数量は(重複しない書籍、精密でない旨ご容赦を)備前14、山城19、大和34(内古剣5)、他5。特に大和の古剣は頭が張るというよりフクラがたっぷりと言う感じ。

応永以降は資料見当たらず、国広、康継の新刀2横手あり。元来密教の祭具だけに絶対数の少なさから参考にならないですが今後興味を持って観れそうです。

 

また粟田口派の入札に関しては隆盛の150年間として鎌倉初期の六兄弟と言われる第一世代、中末期と第二、三世代は姿から時代を鑑み一応個銘まで入札するようご注意いただきました。中々観る機会がないですが。

 

国吉は太刀、打刀(鳴狐)、短刀、剣とすべて良くこなす良工。今回の「剣」は特に重文の剣よりやや短寸であるが健全性はほぼ同じで指定審査に掛からなかった無冠の一品。手に持ち観れる僥倖。

更に本剣の表裏の梵字に関しては鎌倉初期までは文化都市として栄えまた宗教都市でもあった京の都だが特権階級の為の信仰だったものだが質を異にした山岳修験信仰に於いても影響は徐々に京の一般にも現れ、不動明王を意味する素剣の彫はまま見られたものの山城刀工に於いては顕著に鎌倉中期以降に梵字が彫られ始めたようだ。梵字の彫られた剣の存在自体希少な中、正に本剣は梵字からも時代を物語っていると思われる。

(三浦弘貴 記)

【二号刀】刀 無銘(青江)二尺三寸程 南北朝中期 備中国

 鎬造り、庵棟、鋒やや延びる。鍛えは板目詰み、細かく肌立ち、地景良く入り、青黒い鉄色交じる。刃文は直刃調に刃中逆丁子交じり、足入り逆足交じる。匂口締り、刃縁から刃中へ明るく冴える。帽子はやや尖りごころ。彫物は表裏に樋先が下がった棒樋を掻き流す。大磨り上げ。

鋒が延びているので時代は鎌倉末期から南北朝期が考えられます。棒樋をみると樋先が下がっているので生ぶ樋であれば南北朝期の延文・貞治頃の典型的な姿となります。刃縁から刃中への色合いが白く冴えた様相はしばしば青江にみられます。地鉄は細かく肌が立ちいわゆる「縮緬肌」となり、一部の地色は青黒くなり、逆丁子、逆足が入っていることからも青江の特徴が表れています。

(今野利幸 記)

【三号刀】短刀 恒弘 (小反り) / 応安三年十月 一尺二寸程 南北朝中期 備前国

南北朝期の寸伸びで身幅の広い短刀で刀樋を掻いている、二号刀と同じく樋先が下がっているが

樋先が下がるのはこの時代の特徴、短刀の場合中心が短い所もこの時代の特徴になっている。

 

地鉄は板目が肌立った鍛えで映りが立つ、刃文は尖った互の目や丸い互の目が主体になる。

小反りにはのたれ刃を焼いた作風やこずんだ刃文と言われる小模様な乱れを焼いた作風などもあります。

 

小反りといえば南北朝末期の備前の刀工を指す事が多いがこの刀は南北朝中期の年期を切っている。

刃文の形や映りを白け映りと見れば美濃物にも見える出来で、入札では映りの捉え方で備前の刀工か美濃の刀工に別れるのではないかと思います。

(國上涼 記)

【四号刀】太刀 備州長船康光 / 文安元年二月日 二尺四寸弱 室町中期 備前国

鎬造、庵棟、磨上げにて元幅・先幅差少なく、重ね厚く、先伸びこころに中鋒。

鍛えは総体的に粘り気があり、板目よくつみ棟寄りに杢目交じりやや白けごころ。

刃文は匂口がしまり、小互の目や小丁子がこづんで入り、蟹の爪や大小の尖り刃を所々に交えて変化に富む。

大小の尖り刃は頭が地肌に向かって匂が煙り込むことで、地刃の境が曖昧になる。

物打あたりで刃縁がややうるむ。

足・葉よく入り、帽子は乱れ込み先がとがってわずかに返る「ロウソク帽子」の形をみせる。

佩き表・裏ともに鎬地に棒樋を掻き茎の中頃で丸留め。

茎は磨上げられ切、目釘孔4、そのうち第1孔から第2孔までに切状の鑢目が入り他は判然としない。

銘は表・裏ともにきわめて棟寄りに切られている。(磨上げ時に茎の棟側を削ったかのようにも見える)

佩き裏に切られた年紀と作風から二代の作と考えられている。

 

刀剣史における室町時代は太刀銘(佩表に切る)から刀銘(佩裏=差表に切る)へと変化していく。

研究上とても重要なポイントのひとつで、変化が始まる下限として嘉吉(かきつ)の年号がキーポイントとなる。

嘉吉を境に、同時代を室町初期(太刀銘、応永~永享 = 応永備前)、中期含む末期(刀銘、嘉吉・文安~文禄 = 末備前)と大きく二分している。

しかし実際は嘉吉・文安・宝徳・享徳あたりは太刀銘で切る刀工もまだまだ多く、

太刀銘で刀のような姿を呈したものや、刀銘で太刀のような姿をした作も存在し、

まさに太刀銘から刀銘への過渡期のものが本作となる。

 

康光は応永頃の備前代表刀工のひとりで、盛光、師光とならんで「三光」とも称される。

古備前正恒系の流れをくむ近忠(光忠の師)と景秀(伊達政宗の愛刀「くろんぼ切景秀」の作者)をルーツにもち、日本刀銘鑑によれば応永から天文まで五代続いた。修理亮盛光の弟ともいわれている。

日本刀銘鑑によれば二代は応永三十四年から嘉吉年紀までと記されているところから、文安年紀の本作も考慮すれば作刀期間の長い刀工であったことは確かなようだ。

古刀史年表に同銘・同年紀の太刀の記載あり。

(佐々木理恵 記)

【五号刀】刀 備州長船勝光/ 永正十一年八月日 二尺一寸五分 室町後期 備前国

長さは短めであるが、しっかりとした造り込みとなっていて、全体としては力強い印象を感じさせる勝光の刀。

腰元には生ぶかそれに近い姿であることを示している踏ん張りがしっかりと残っていて、身幅は尋常かやや広め、重ねが厚く先反りがついた姿より室町後期の末備前の刀であると特定することができる。

 

長さは二尺一寸半前後となっていて、生ぶ茎在銘でありながら茎はとても短くなっている。

これは両手で扱う刀ではなく、片手打ち用の刀として作られたものということであり、

今作はその片手打ちの打刀の典型的な姿となっている。

末備前の代表刀工といえば祐定や勝光などが思い浮かんでくるところであるが、祐定であれば乱れがゆったりとした作風で複式互の目などの刃文が目立ち、勝光であればその祐定よりも寸がやや詰まって刃がこずみ、

刃中の働きが多く地刃が明るく冴え、小さめの丁子が目立つ刃文となるのが特徴であり、

今作は後者の特色が顕著に現れていることから、末備前の刀工の中でも勝光と特定することができる。

 

勝光は俗名を冠するものが多く、右京亮勝光や次郎左衛門尉勝光、彦兵衛尉勝光、修理亮勝光などが存在するが、今作は永正十一年紀の作であることから考慮すると、その中でも特に次郎左衛門尉勝光の作であるのではないかと推測される。

(赤荻亨 記)

鑑賞刀レポート補足資料

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3.今後の予定

◆小さいお知らせ◆

宮城県には日本刀の勉強ができる会がある。

宮刀保の存在を知ってほしい。

…ということをお知らせする右記のポスターを作りました。

鹽竈神社博物館様にて館内に後日貼って頂きました。

(日本刀に縁があり、宮刀保の事務局でもあります)

当HPやツイッターのURLが掲載されていますので

お気軽にアクセスくださいませ。

もし見かけましたら応援よろしくお願いします。

 

今後もどこかの施設で見かけるかも!?


4.会員通信

本ニュースの編集・配信・お菓子係のササキです。

会員通信…というよりも、専らササキの独り言コーナーと化しております。

宮刀保女子の独り言コーナーとかに名称変えてもいいでしょうか(ダメです)

 

昨年末に新しいノートパソコンを購入しまして、

自分のスマートフォンからパソコンへ写真をダウンロードできるソフトを設定したり、

ようやくダウンロードできた写真を加工しようと起動した専用ソフトから、

更新プログラムをインストールするよう指示があり、

またもや足止めをくらっており…今夜は画像の編集作業が全くできないであります(-_-)

とりあえずやれる作業をやろう…ということで、当コーナーをポチポチと書いております。

 

話が変わりますが先日、自室の整頓をしていたところ本の隙間から数年前の鑑賞刀メモが数枚出てきました。

刀身のスケッチと一緒に今以上にたどたどしい言葉がつづられたメモだったのですが、

 

『短刀。棒樋が一本。どちらかといえば棟寄りにある感じ』

『重ねは薄い。身幅は細目。刀身は小さい。切先が内反り』

『(棟の)てっぺんが平たい』

『刀身の刃文がぜんぶ直刃、刃縁が綾杉肌』

『肌は板目っぽいような杢目っぽいような全体で曲線模様のある肌』

 

さて、作者は誰でしょう(^▽^;)ワカルワケナイデショ

 

…目で観たことを必死で言葉にしようとしていたことがわかります。

おそらくは、平造、三ツ棟、身幅尋常、内反りで棟寄りに棒樋、板目に小杢目交り、地の働きが顕著で、

総体的に直刃で、刃縁に金筋等の働きがあると言いたかったのだと思います。

 

短刀は鎌倉末期から多く見られることと、刀姿、棒樋が棟寄りにあること、鍛え肌の様子から粟田口の流れを組む人で、

地や刃中の働きが顕著のようなので相州風の要素を取り入れている人。

作者まで特定できなくても、時代と作風はおおよそ掴めます(答えは新藤五国光)。

 

「刃縁に綾杉ってなんだよ、それ金筋か砂流しじゃないの!? 時代は鎌倉末期だ!」

「てっぺんが平たいって…中筋だし、三ツ棟だよそれ」

気がつけば、メモを読みながら当時の自分を応援しておりました(笑)

応援できるってことは、当時よりは考え方に幅が出来ているということですよね♪

 

昔のメモは恥ずかしいけれど、他の人には見せられないけれど、残したいなぁと改めて思いました。

一時は恥ずかしいから捨ててしまえ~と思ったこともあるのですが…。

言葉に表そうとしたことを考慮しつつ、もう一度鑑定ができます。

当時できなかったことが、いつの間にかできるようになっていた自分に気づきます。

当時にしかない一種の勢いがあります。

 

なによりも、

「私、新藤五国光みてたのか! もっと観ておけばよかった~っ(T▽T)」

という当時にはない、今の後悔があります(笑)

 

自分自身の記録として、今後もより大事に残していきたいと思いました。

 

皆様はメモを残していらっしゃいますか?

いつか拝見できたらいいなぁ(^-^)

 

 

以上、会員通信でしたっ(^▽^)ノ