No.4 宮城 正年氏(宮城県美術刀剣保存協会 事務局長)

刀匠名 宮城典真(みやぎ のりざね)

宮城県美術刀剣保存協会 事務局長

全日本刀匠会 北海道東北支部長

全日本刀匠会 理事

時:平成29年11月25日(金)10時〜

場所:白石市 宮城事務局長 御邸宅

聞き手 同協会 赤荻亨 三浦弘貴

 

聞き手 - 本日は広報チームを代表して赤荻、三浦が参りました。今回は十分にお時間をいただくことができましたので普段は中々お話できないことなどいろいろと詳しくお伺いしたいと思っています。どうぞよろしくお願い致します。


もくじ

  1. 刀鍛冶になるきっかけ、修業時代の話をお聞かせください。
  2. 刀鍛冶、職人という存在の魅力について詳しくお聞かせください。
  3. 今までで印象に残った刀についてお聞かせください。
  4. 宮刀保について感じること、また必要であるなと思うことなどありましたらお聞かせください。
  5. 最後になりますが日本刀とは事務局長にとって、そして宮城典真刀匠にとってどのような存在でありますか。

質問1:刀鍛冶になるきっかけ、修業時代の話をお聞かせください。

宮城事務局長 -

 

刀鍛冶として関わる日本刀

私の家は代々鍛冶屋の家系でありましたが、高校卒業後某カーディーラーの整備士として就職しました。

小さい頃から機械いじりが好きなため、車会社に勤めその後、家業を継ぐ形で20歳前頃から刀鍛冶の修行を始めました。

 

子供の頃は親の鍛冶場で遊んでいるので中学、高校になると、炭切り、焼き入れ、ヤスリ掛けなど手伝いをしていましたが、

刀鍛冶になる下準備が自然とできて居たようです。

刀鍛冶として素晴らしい刀、お客が求める刀を作るために、始めは父(刀匠宮城昭守氏)の仕事を良く学び様々な刀剣書を読んだり、刀の鑑賞会で名刀を見る勉強をしていました。

 

しかし最初の2、3年はそうした刀剣関係の本を読んでも何が何だかよくわからず、

鑑賞会などで刀を見てもさっぱりわからない時期が長く続きました。

作刀をして、つまずくと答えは鑑賞会で見た名刀にあることがわかり、姿形、刃文、地鉄を良く見るようになり、

鑑賞会での入札も当たるようになり、修業も楽しくなり、作刀を積み重ねていくことによって道が切り開けるようになるもので、5年程経って作刀免許をもらう頃には鑑賞会などでも入札鑑定に、当たりや同然など札が増えるようになってきました。

 

やはり何事も欠点を見極め、良くなる方法を学び、習得する経験を積み重ねていくことが大切で、

修業時代は長くも有り短くも有り5年が過ぎました。


質問2:刀鍛冶、職人という存在の魅力について詳しくお聞かせください。

 

宮城事務局長 -

 

後世に残る刀鍛冶の仕事

私は刀鍛冶として日本刀を作ることが仕事でありますが、

まず刀鍛冶の魅力とは自分の作った刀が後世に残るということですね。

 

自分の技術を結集して作った刀が後世に残り、

その自分の作った刀を見て後世の人達が感動したり驚いたりしてくれる。

そうした後世の人達に自分の技術を評価してもらえる喜び、また自分に妥協せず、ひたすらに作刀技術を高め続けていく中でより深まっていく刀とのつながり、そして自分の理想の作品が形となって表れることへの楽しさや面白さこそが、刀鍛冶という仕事の大きな魅力であるのではないかと私は思っています。

 

高山武士先生からも「日本刀は日本文化の最高傑作であり世界に誇れる美術品である」と学びました。

その日本文化の最高峰である日本刀を作り続けられることが私の刀鍛冶としてのやりがいでもあり、

大きな誇りでもありますね。

作刀につながる整備士時代の経験

私は刀鍛冶になる前に自動車の整備士でした。

その時に整備士の先輩方と一緒に自分の車のエンジン(当時は最高傑作のDOHC)をオーバーホールをした経験が有ります。

 

最初は大変な事になったと思っていたのですが、その場面場面で展開される職人の技術によって

バラバラだった車のエンジンパーツが熱、摩擦により10万キロ使われたエンジンの状態が解り、

その使われる事によって劣化した部分を修理して再生できる。

この時の経験が私の現在の刀鍛冶の仕事にも大きな影響を与えていますね。

 

分解されたエンジンパーツが少しずつ組み合わさって一つの作品として完成されるにはマニュアル本があるので修理ができる。

古刀や名刀を作る教科書、マニュアル本は有りませんが、手本は名刀を良く見ることです。

教科書は名刀の中に有るので、自分で読み解くしか有りませんが、整備士の経験が作刀に生きてくる様な気がします。

玉鋼の状態から刀を完成させるまでの過程を想い描くための能力として現在でも私の中でしっかりと活きています。

 

職人の仕事とはこんなにも高度で素晴らしい能力を身に付けて使いこなしていくものなのだと

あの時に深く感動したことを思い出します。

そういった高度な技術を用いて不可能を可能にし、作品を作り上げていく醍醐味こそが職人という仕事の大きな魅力ですね。


質問3 : 今までで印象に残った刀についてお聞かせください。

宮城事務局長 -

 

沸が光る名刀

今までにいろんな刀を拝見してきましてどの時代、どの国、そしてどの刀工にもそれぞれに良さがあり

素晴らしい刀はたくさんあるのだなと思っていますが、その中でも特に強く印象に残っている刀といえば

刀剣博物館蔵の重要文化財の「粟田口久国」の太刀ですね。

 

やや磨上ではありましたが、もし生ぶであったのなら国宝となっていた太刀だったのではないかと思います。

父からはよく名刀とは沸が銀の砂を撒いたように光るものなのだと聞かされていたのですが、

この久国を見た時に正にその父の言葉通りの太刀姿で、沸が見事な輝きを放っていた素晴らしい名刀であったなと、

あの時の衝撃を今でもはっきりと覚えています。

 

山城物の優雅さ、粟田口派の地鉄の奥深さ、そしてそこに表れる沸の輝きの美しさに大きな感動を覚えた瞬間でしたね。

あの時いつかは自分でもこうした刀を作ってみたいなと強く思いました。


質問4 : 宮刀保について感じること、また必要であるなと思うことなどありましたらお聞かせください。

宮城事務局長 -

 

県外との交流

私が始めた当時は交通の便などあまり良くない状態であり鑑賞会もそこまで主流ではありませんでしたが、

現在はインターネットの普及や交通の便も非常に良くなったことにより、

県外へと足を運べる機会が昔よりも大分増えてきたように感じています。

 

ぜひこの環境を活かし県外との交流を深め、情報交換などに積極的に力を入れていくことが

今後の宮刀保の大きな発展につながっていくことなのではないかと思います。

また他の支部や他の分野との交流を深めていくことによって、

今までにはなかった新しい考え方や今後の活動への工夫する点などが出てくるようになり、

そうした経験が必ず次へとつながっていくことではないかと思います。

 

女性人気と海外への普及

現在は刀剣女子の影響もあり、女性の人気、勢いが特に高まっているように感じます。

この流れを引き続き保ちながら日本刀を一般の方達にもどう普及させていけば良いのかを

宮刀保のみなさん一丸となって考えていくことが必要であると思います。

 

また国内だけではなく国外でも日本刀を認めてもらえるように活動を進めていければ良いのではないかとも思っています。

将来的には日常的なものとして日本刀が普及し、

誰もが当たり前に日本刀に親しむことができるような環境になっていったら理想ですが、

刀剣は江戸時代後は必需品では無くなり、美術刀剣として存在してます。

道は困難ですが進むことを楽しんでいきたいです。

 

日本刀は日本文化の最高傑作と称されるものでありながら

現在まで文化勲章や文化功労賞をもらった関係者がいないのが実情です。

今後の日本刀普及に伴い、ぜひこれからの世代で日本刀の技術の素晴らしさを再認識してもらい、

近い将来に文化功労賞や文化勲章を獲得できる人物が現れることを私は強く願っています。


質問5 : 最後になりますが日本刀とは事務局長にとって、そして宮城典真刀匠にとってどのような存在でありますか。

 

宮城事務局長

 

刀鍛冶として、職人として

そうですね、私の中で日本刀とは「職人として携わり続けるもの」ですね。

私達刀鍛冶は生きるために、そして職人として技術を追求し、

より素晴らしい作品を作り後世に作品を残し、保存していただける職人になりたい。

 

日本刀を作り、守り、知り、そして伝える。

その中に楽しさがあり、面白さがあります。

刀鍛冶として、職人として日本刀は正に生活のすべてであり、

 

その日本刀と真剣に向き合い続けていくことが刀鍛冶として生涯の役目であるのだと私は思っています。

 

これからいつまで刀を作り続けられるのかはわかりませんが、生きている限り精一杯自分の技術を追求し続け、

そして後世の人達に感動を与えられる刀を作り続けていきたいと思っています。 


聞き手 - 

はい。それではお時間になりましたのでインタビューの方は終わりとなります。

これからも刀鍛冶として、職人として技術を追求し続け、後世に残る素晴らしい刀を作り続けていって下さい。

本日はお忙しい中、長時間ご協力いただきまして大変ありがとうございました。

(文責 同協会 赤荻亨、三浦弘貴)