No.1 鈴木俊一氏(宮城県美術刀剣保存協会 五代目 現会長)

平成29年6月7日(土)13時30分〜

於 塩釜市 鈴木俊一会長 御邸宅

聞き手 同協会 赤荻亨、今野利幸

 

聞き手 - 今年度の総会におきまして、当会に新たに認められました広報チームを代表して赤荻と今野が参りました。

ホームページを開設するに当たって会長のご挨拶をまず掲載したいと思いますのでその原稿をお願い致します。

また、今日は会長に私たちがインタビューをし、そのお話についても取りまとめて、

記事にしたいと思いますのでお気軽にお話を聞かせていただきたいと思います。

本日はどうぞよろしくお願い致します。



質問1:日本刀について勉強を始めるきっかけをお聞かせください。

 

鈴木会長 -

私は30代、40代と年代ごとに仕事に関する勉強テーマを決めて、目標に向かって勉強をする日々を過ごしていました。

50代でももちろん努力の末に目標を達成することができたのですが、次のテーマを見失いそうになりましてね。

 

そんな時、幼い頃からいつも傍らにある、祖父から頂いた2振りの御刀を何気なく見ながらふと、

「なぜこの家には御刀が沢山あるのだろうか?」という疑問が沸き出し、

自分自身に問いかけたことが日本刀の勉強を始めるきっかけだったのかもしれません。

そして自分自身と家族に対して「60歳までは刀を勉強する!」と次のテーマを宣言したのです。


質問2:日本刀の勉強方法と、その思い出話をお聞かせください。

 

鈴木会長 -

様々な方からご教授頂きました。まず御刀をお持ちの方にご相談に伺ったところ、

実際に御刀を手に取りながらご指導頂ける刀剣研磨師の方をご紹介頂きました。

 

ご紹介頂いた後は、軽い気持ちで先生の所に出向いては御刀について質問をし、丁寧にお答え頂く日々が始まりました。

勉強をしていくうちに多少なりとも理解できたかなぁと個人的に思える頃に、先生から「鈴木さんに教えることは尽きてしまった。

私が次の方を紹介するから、今度からはその方のところへ行きなさい」とご指示を頂きまして。

 

次に伺ったのは骨董店を営む方で、2人目の先生になります。その方も私をしっかりご指導くださいました。

寒い時期に勉強会をはじめましたので、ちょうどやかんの蒸気で曇ったガラス窓が黒板代わりとなり、

指で窓の曇りをなぞっては御刀の反り、切先の返り具合、丁子や互の目などの刃文を詳しく説明して頂き勉強会は続きました。

 

先生からご指導頂いた間は、「3年間はいたずらに(なんでもかんでも)御刀を鑑賞しないこと」、

「私が勧める参考書以外は目を通さないこと」と強く釘を刺されましてね。

私が勉強で必要とする刀剣に関する参考書はすべて提供してくださったので、それらを読み込んでは詳しく解説頂きました。


質問3:御刀との思い出がありましたらお聞かせください。

 

鈴木会長 -

2人目の先生からご指導を頂くようになってから間もなくでしょうか。

その方から某県の博物館の刀剣図録を提供されまして、主な記述は細川忠義一門刀工の作品についてでしたが、

その作品のうち「藤枝太郎 英義」の茎の銘が目に留まりまして、私のなかで何故か印象深く訴えるものがあり気になり始めたのです。

 

それから数日は寝ても覚めても気がかりで仕方がなく、

あの銘は間違いなく自宅で観た記憶があると家中にある御刀をくまなく観て回ったのです。

そしてついに薙刀にその銘を確認することができました。

幼いの頃に祖父から聞かせられた

「幕末の頃、やがて生まれる長子の為に、刀一揃い、刀、脇差と槍、薙刀の4点を一括し川越の縁者を通して作ってもらった」

という話が思い出されました。

実際にそれらのお品を2人目の先生にお見せしたところ、見ると同時に一瞬、腰を空に浮かせ大層な驚きの表情をなさっておられまして。

何故かといいますと、紛れもない当家の注文打ちの銘文が切ってあったからなのです。

 

2人目の先生との出会いは、私の家に埋もれていた御刀との再会に大きく結びつけ、

更に私を御刀の世界へといざなう強い動機づけになったのです。


質問4:宮刀保に在籍することとなった経緯をお聞かせください。

 

鈴木会長 -

2人目の先生よりご指導頂くことが1年を過ぎた頃、宮刀保が鑑賞会を定期的に開催していることをお教え頂きました。

宮刀保へ入会したのは秋保温泉で移動鑑賞会が開催された時になります。

入会の際に、当日講師としていらしていた高山武士先生、初代支部長の松島様とも初めてお目に掛かることができました。

入札鑑定にも初めて挑戦しまして、鑑賞刀のうち一号刀に「千手院」と入札したところ、高山先生にお褒めの言葉を頂いたことは

忘れられません。とても嬉しい思い出として今も心に残っています。

当時の入札用紙は今も大事に取っておりまして、初心を常に忘れないためのお守りです。

一号刀の正解は「手掻」でした。

今になって思えば、当時の私がご教授頂いていた勉強会では大和伝の御刀についての概念を仕込まれていたものですから、

直刃調の柾流れる地鉄、鎬の高さを観れば大和物・・・千手院と覚えていたのですね。

 

はじめは60歳までの10年ほど、御刀を勉強してみようと軽い気持ちで始めましたが、

あっという間に20数年が経ってしまいました。

その間も沢山の方々にお目に掛かりお導き頂きました。



質問5:現在と将来の宮刀保へ託したい思いがありましたらお聞かせください。

 

鈴木会長 -

私は様々な御役目を諸先輩方から託されました。

宮刀保の会長のほか、高橋大喜会長(四代目)が就任されている際は役員として、

また東京本部では前小野裕会長が就任されていた際は評議員に任命されるなど、この20数年間は大変貴重な経験をさせて頂きながら

日本刀の勉強を続けることができたと思っております。

本当に感謝しています。

 

これらの貴重な経験に基づいて次の世代へバトンを渡していくことが何よりも大切なことだと私は常々考えております。

幸いにも宮刀保では現副会長はご経験、ご見識ともに優秀な方々でいらっしゃいます。事務局長も次世代を担っていく優秀な方です。

また東京本部の刀剣博物館も来年1月新設を予定し、多くの方々が自在に情報を手に取ることができる環境にある今、

日本刀文化すなわち日本の伝統文化の集大成を改めて見直そうとする動きに差し掛かっていると思います。

そういった新しい時代の波は確実にやって来ており、もちろん私たち宮城県美術刀剣保存協会も大きな飛躍を迎える時代に

入っていると思います。

副会長と事務局の方々、そして今回取材をされているあなた方には、密な関係を更に築き、

次世代を担うお役目に真摯に取り組んで頂きたいと願っています。

宮刀保の会員各位のベクトルをひとつにして真摯に前へ進んで頂きたいと願っています。

ともに頑張っていきましょう。


質問6:長時間に渡りインタビューにお答えくださいまして

本当にありがとうございました。

恩師との出会いがとても印象に残りました。

他になにか印象に残る思い出などありましたらお聞かせください。

 

鈴木会長 -

そうですね・・・骨董店の先生との出会いは印象的なものでした。

研ぎ師の先生は私が骨董店へお伺いすることを伝えてはいなかったようで、私が初めてご挨拶でお伺いした当日・・・夜更けでしたか、

寒かったものでしたからかなり着込んでお伺いしたのです。

真冬ですから、トレンチコートにマフラーを掛けて、フェルトのソフト帽を目深に被るという格好でした。

 

私はしっかりした体格をしていますし、真冬の夜にその様な恰好をした人物が店へ入ってきたものですから、

姿を見た先生は「こんな夜更けにやんごとなき方が何用?」と多少危機感を抱かせた様子で驚いておられました。

正装のつもりでしたが、そういう時代背景でもありましたからね。

 

私との初めての出会いは、骨董店の先生の記憶に深く刻まれるような印象的なものだったようで、酒宴では度々、印象深い思い出話として披露されては談笑されておられましたね。

今になってはこれも、とても懐かしい思い出です。


(文責 同協会 赤荻亨、今野利幸)